2017年10月9日朝、佐目が亡くなりました。登録名は第一北照鳥といいますが、毛色が佐目毛だったためずっと佐目ちゃんと呼ばれていました。

佐目は1998年5月28日生まれの北海道和種の雌で、2008年3月31日に髙井先生と私で函館に行って買い付けをしたウマです。

生産者であるおじさんがわれわれの目の前でおもむろにまたがったにもかかわらず、微動だにせず落ち着いて人を乗せるウマだと分かり、購入を即決しました。

その時すでにお腹に仔馬がおり、同年4月20日に十和田キャンパスに来てすぐに仔馬を生みました。元気なころは側対歩をおこなう貴重な乗用馬として教育・研究に貢献してくれました。

十和田キャンパスで9年間を過ごしたことになりますが、ここ3年間は慢性疾患であるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)あるいはRAO(回帰性気道閉塞症)を患い、ずっと乗ることができない状態でした。

それでも富岡先生に針治療をしていただいたり、中葯を処方して頂いたりと手を尽くしていただき、病気を抱えながらも佐目なりの生活を続けていました。

この間、日常管理においては研究室の代々の学生が複雑なケアを完璧に続けてくれ、佐目は寿命以上に生きたといえます。

言い換えれば、病気の動物の世話をする貴重な体験を佐目はわれわれに与えてくれました。

本来の目的である乗用に適さなくなった時点で産業動物は屠殺される運命にありますが、大学農場のウマは教育目的のための生きた教材でもあります。

佐目が耐え難い痛みに苦しむまでは安楽殺を選ばず、細々とでも命を繋いでいこうと考えていました。

しかし、耐え難い苦しみは明確にある日を境にやってくるわけではありません。

努力呼吸が続くときにはあの手この手で処置をしてもらって、次の日には元気な様子を見せて食用旺盛になるということもありますし、調子が良い日が続いたのになぜか元気をなくした、ということもありました。

日々の様子を見て一喜一憂し、それが3年間続いていた感じです。

亡くなる前日は悪い状態ではなく、1週間以上元気な状態が続いて安心していたところでした。

そして、最期の瞬間に立ち会えませんでしたが、苦しんだ様子は見られませんでした。

今はこれが正解だったのかなとは思えます。

しかし、正解は一つではないかもしれません。

10月10日、安藤先生に病理解剖をおこなっていただきました。

肺の左側2/3が機能していなく、右心室拡張と胃潰瘍がありました。

生きている19年の間、様々な勉強の機会を与えてくれた佐目でしたが、実は亡くなってからも私たちにさらに課題を突き付けてくれています。

髙井先生から全身骨格標本をつくってほしいという要望を受けました。

病理解剖から帰って来たお骨(焼いていない状態)を1年間以上土に埋め、肉が分解された後に掘り出して洗浄・漂白し、骨標本にします。

10月11日には進藤先生に現場で指揮を執っていただき、行動研4年生を中心に穴掘りと埋設作業をおこないました。

3メートル四方で深さ1メートル以上の穴を掘るなんて、初めての経験です。

さらに骨標本をつくる作業も初めての経験となります。

1年間かけて勉強し、佐目の骨格標本を作製したいと思います。

十和田農場のウマとして亡くなってからも教材であり続ける佐目は、学生の心と頭にその明確な存在意義を永遠に示し続けてくれることと思います。

今年8月には月毛が亡くなりました。

科学的ではありませんが、9年間ずっと一緒に暮らしてきた月毛は、お疲れ様、と佐目を呼び寄せたように思えます。

松浦