今日は今年度の実習の最終回でした。
先日このブログでもご報告した、実習で作った環境エンリッチメントを動物園で使っていただいた時の様子を学生のみんなに伝えました。また、実習で作ったパネルについても添削したものを返却しました。
学生のみんなには課題として、①各班が作ったエンリッチメントの課題と解決策を班内でディスカッションしてまとめる、②返却したパネルを清書する、の2つに取り組んでもらいました。
なかなか苦労している班もありましたが、最終的にはどの班も課題を提出することができました。パネルについては掲示の可否を動物園にご判断いただき、あとで学内掲示板などで報告します。
今年度の実習は終わりましたが、最近いろいろ思うことがあったので学生への教育活動について考えていることを書いてみようと思います。助教の小倉の個人的な考えで、当研究室を代表する考えではありません。
今回の実習は、学生のみんなが書いてくれたパネルを私が添削して返す、学生のみんながディスカッションした結果に私がコメントする、といった内容でした。今回に限らず、他の実習や研究室で卒論指導、その他いろいろな場面で学生のみんなと似たようなやり取りをしています。このやりとり、大きく2つのステップに分けることができます。
まずは「学生のみんなが考える」ステップです。大学生活に限らず、これからの社会生活の中で自分の頭で考える必要がある場面が多々あるはずです。なぜなら、世の中には明確な正解のない課題がたくさんあるからです。そうした課題に直面した際に、いきなり自分で答えを探そうとしても難しく、やはり事前にトレーニングが必要だと思っています。そのために、これからの暮らしの中である程度応用の利きそうな場面を想定して、課題を設定し、学生のみんなに考えてもらっています。
次は「私がコメントする」ステップです。コメントには、質問や添削なども含まれます。学生たちが自分なりに考えた結果に対するフィードバックが必要だからです。これがないと、独りよがりの考えに陥ってしまっていても気づくことができず、周囲を納得させられないからです。上述のように、明確な正解がないものに対する考えをまとめる課題もあります。ですが、正解はないにしても、ある情報を見落としていたり、論理性に欠いていたり、別の視点に対する配慮を失している考えは、受け入れられることはありません。これを指摘するのも教育だと考えます。けっこう誤解されがち(と私が考えている)なんですが、単なるダメ出しや、悪意のあるイジワルでは決してありません。
細かく言うならこの2ステップのみで完結するものではなく、その前に私から前提となる必要な情報を教えたり(講義や、実習の最初のパートがこれに相当します)、2つのステップを1度ではなく何回も繰り返したりします。ですが、学生とのやり取りの主たる要素はこの2ステップだと思っています。
自分自身が完璧にできているかというと自信は無いですが、少なくともこうしたことを念頭には置いていますし、他の先生にもある程度は共有される考えだろうとも思います。学生のみんなはせっかく学びの機会を得られているわけですから、あまりネガティブに捉えず、これからの教育に臨んで欲しいと思っています。